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小説「ヒーズールの夜明け」に登場する村・・・ そのむらおさの独り言?!
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 あまり評判の良くない現政権の、コロコロ主張を変える、思いつきで政策を吐露してしまう首相が、ソマリア沖に護衛艦を派遣することを検討する、と言ったことはどうなっているのだろう? 恐らくは防衛省や外務省で密かに、且つ着々と具体案が練られているのだろう。

 私は、昨年暮れにこのことに触れ、世界がざわついている時に迂闊に派遣などするのは如何か?と書いた。 そして、その懸念が現実となった報道が、耳に届いてきた。
 インドの潜水艦が中国海軍艦を追尾し、逆に洋上から包囲されるという事件?である。 だから言わんこっちゃない。

 あそこの海域は、今のところ各国がめいめいに活動している。 多国籍軍のような形態が無い以上、指揮系統もばらばらだろう。 今回のことがどうして起こったのかは知らないが、この機会に他国の防衛力(探知力)を探ろうとしたり、模擬訓練しようなんて思惑が起こっても何ら不思議ではない。

 そこへもってきて、イスラエルだのイランだのその友好国だのが、近い位置でひしめいている海域なのだから、有事の際は何が起こるかわからない。 だから行くな!とやんわり唱えているのである。

 そもそも専守防衛で集団自衛権も無い日本の自衛艦が出かけていって、他国の船が襲われても助けに入ることも出来ない立場なら、かえって非難を浴びる可能性もある。

 さて、あそこの海域を通る日本関連の船はどれほどの数なのだろうか? その船に自衛官に携帯重火器など持たせて同乗配備するとした場合と、護衛艦を派遣する場合とのコストはどうだろう。 海賊は軍艦で襲って来るわけではないのだから。 この手法は、検討する価値はないのだろうか?

 いずれ世界恐慌もどきが進んでいく中、どんどん世界がピリピリしていく。 北朝鮮も怪しげな気配だと言うし、戦争や戦争もどきが起こる背景は整いつつある。 米が勝手にミサイル発射基地へ限定攻撃をする可能性だって、否定はできないのではないか?
 
 わが国では、そういった有事の際に戦争難民が日本海を渡ってやってくる、といった想定はきちんとしているのだろうな・・・。
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 昨日の日曜、午後からやおら仕事をして戻ってきた時のこと、入り口の小脇に猫がうずくまっているのを見つけた。 外は零下で小雪混じりに風が吹いていた。 
 ふと背中に触れたが、逃げ出す風も無い。 更に触れるとだいぶやせ細っているようで、サイズからして1歳ぐらいの若い猫のようだった。

 息子もそばにいて抱き上げた。 しかし、諸事情があって飼うわけにはいかないし、困った状態になった。 どこかの飼い猫なのか、それとも野良なのか。
 餌を与えればくせになるだろう。 しかし、行くところがないとしたら命の危険に晒される。

 こんな時、あなたならどうしますか?

 息子は数人の友人に携帯電話で「飼えないか?」と打診するも、そうは簡単に引き取り手は見つかるはずもない。 飼い猫の可能性もあるので、「近所の派出所に連れて行ったら?」と伝えると、やがて帰ってきて「預かることはできるが、動物管理センターに連絡して引き渡すことになるだろう」と言われたと言う。
 そうなるとその後は・・・。

 結局、どうすることもできず公園のあずまやに置いてきたと言う。 その猫は朝まで生きることが出来なかったようだ。

 私は猫のことを思いながらも、いろんなことに思いがめぐった。 今問題の派遣労働者や戦地における難民、ヒトとて似たような環境下にいるケースが世界にどれほどあるだろう。

 眼の前で起こらなければ逃げられることも、いざ目前に助けを求められるような場合は、辛い思いをしなければならなくなる。 直接原因を作ったのは自分でなくとも、遠因からは逃れられない。
 自分の力で助けられるのには限度があるのも承知なのだが。

 さて、今日のNHKのクローズアップ現代では、筋萎縮症?の男性が自分が意志を伝達できなくなったら、人工呼吸器を外してくれるよう病院に懇願し、病院側の倫理委員会が承諾したということがテーマになった。
 尊厳死なる言葉がかなり以前に流行って、結果現在に至るまで却下され続けている。 だが、今一度見直す時期に来てるのかもしれないと番組は訴えていた。

 私にとっては何を今更考えるのだろう、という感覚である。 私は個人の権利として「自死」を認めるべきという立場だ。 異論は多々あるだろう。

 「ソイレントグリーン」という映画を若い時に観た記憶がある。 人口が増加し食料が激減した未来を、チャールトン・ヘストン主演で描いた映画だった。 ずばり中身を言うなら、ソイレントグリーンとは食糧危機を打開する画期的な食べ物で、それがどのように作られるのかが秘密だった。 その秘密を探ると「人肉」だったという結末である。

 死にたい人が死ねないで、人命尊重などの美辞麗句は良い。 だが、10人乗った漂流船にいて、生存するのに必要な水や食料が数人分しか無い時に、全員で死ぬのか?生きられる人を選別するのか?

 私が生きている間には恐らく起きないだろうが、地球と言う漂流船が同じ状態になったら、人類はどういった選択をするのだろうか?

 見ずに済めば良いのだが、見てしまった為に辛い思いをする。 そんな出来事が毎日たくさん起こっているのだろう。 だからと言って対岸の火事のように考えていては、やがて自分の身にその災厄が降りかからないとも言えないのである。 何かできることはないのだろうか・・・。 少なくとも無責任に問題を先延ばしにするだけでないことが・・・。
 
 
 またダボス会議にまつわるニュースが飛び込んできた。 外交得意?の総理が、アジア・アフリカ地域へODAを絡めて1.5兆円の大盤振る舞いをすると声明を出したのである。 自分のお金でないとなると、人というものはこうも鷹揚になるのかと不思議に思う。

 ODAは悪くない。 私のブログでの主張に沿っているからだ。 問題は中身だろう。 私が日本の景気回復のためには、途上国支援が必要だと言っているのは、単なるODAとはちょっと違うのだ。

 例えば過去のブログで「集落支援制度」のことに触れている。 支援というものを、道路やハコ物を作るハード分野から人的支援つまりソフト分野に移行したことを評価したことがあった。
 つまりは、金はばら撒けば良いのではない。 アフガニスタンで殺害されたNPOペシャワール会のように、知恵と技術という間接支援と、過度にならない直接支援の組み合わせで行うべきだと思うのである。

 どうするかというと、こういった雇用危機だからこそ、海外青年協力隊を大々的に募集して、ある程度の技術とやる気を持った人達を送り込めば良いのである。 1.5兆円どう使うのか知らないが、
「日本はODAにおいて、使途不明で乾いた土地に吸い込まれるような援助はしません。 その土地に根付き将来実のなる種を蒔く為に、主に人的支援をします。 受入国にはそのことをよく理解していただきたい。 使用制限なき現金は、一時的なものです。 恒久的な基礎作りが日本の支援だということを。」
ぐらいの演説をぶてば、世界もいくらか日本と言う国を見直すだろう。

 世界に認められつつ、国内の雇用危機問題にも貢献する、一挙両得のこの考えはどうだろうか・・・。 
 昨日も書いたとおり、ダボス会議では世界の諸問題について解決策を巡る議論が交わされる。 今日のニュースでは、ガザ戦争を巡る議論において、トルコの首相がイスラエルを非難した後、退席をしたというものだった。

 イスラエルの建国の歴史は浅い。 第2次大戦後なのである。 このことを詳細に書くことは控えるが、私が記憶しているのは「栄光への脱出」という映画である。
 ポール・ニューマン主演のこの映画は、まさにイスラエル建国の過程を描いた作品で、イスラエル寄りの米国が製作したプロパガンダ映画だという評価もあるほどだ。 映画好きだった私は、当時の売れっ子俳優であったポール・ニューマンとそのプロパガンダ?戦略に乗った?日本の配給会社の興行収入増加戦略に乗せられ、映画館で見ることになった。

 この地域での紛争は基本的に土地争いなのだが、聖地を共存するなどで複雑な要素を持っている。 それに加えて、欧米が中東の富を詐取するがごとく収奪したことが、現在のテロの根源になっていると私は思っている。

 ダボス会議の主体となっている「世界経済フォーラム」のクラウス・シュワブ氏の世界観に、「世界市民」という考え方がある。 その世界観が解決するには、イスラムを巡る紛争はあまりに難しくなっている。
 収奪した富を返すと言わない限り、表面上の話し合いは難しいのだ。

 米国のオバマ大統領に関わる今日のニュースでは、ウォール街の稼ぎすぎた人達の高給を非難したとのこと。 何かイスラエル問題と同じ根を持つことだなと、感じてしまった。

 貧困問題の解決は、奪いすぎた富を返すのが簡単な方法なのだが、適正な利潤という物差しを人類が持っていない以上、儲け過ぎかどうかは誰にも判定が出来ない・・・。

 唯一、税制度が所得配分機能を持っているのに、消費税を引きずる日本。 先進諸国はどこも採用している制度というのが、この制度の正当性の根拠になっているわけなのだが、新しい考え方や仕組みが必要とされる現在、当然手をつけるべき課題である。

 既存の常識というものを、本来の意味でのゼロベースで再構築する知恵や勇気は、この国は持てないのだろうか? いい加減、他国を横目で見ながら丸写しするカンニング政治をそろそろ止めないと、2流・3流の国からの脱却は到底無理である。

 

 

 
 昨日からダボス会議が始まっている。 ダボス会議とは、スイスのダボスにて行われる「世界経済フォーラム」の年次総会のことだ。
 世界の社会的・経済的な問題に対し、各国の首脳や経済のトップ達、そして知識人などが2500人以上集まり論議するという意味で、高い評価をする人は数多い。 わが国からも総理や緒方貞子氏他大勢が参加する予定とのこと。

 今回の中心話題は、当然世界を震撼させている不況のことだが、この危機の後のことまで話題になると言う。 実に興味深い。

 世界経済フォーラムの会長は、クラウス・シュワブ氏でありフォーラムの設立者でもある。 今夜のNHKクローズアップ現代で、シュワブ氏のインタビューが放送された。

 その中でシュワブ氏が語ったことが、私がこのブログで主張してきたことに酷似しているのに驚かされると共に感銘を受けた。 一つの考え方として「グローバル・コーポレート・シティズンシップ」というものがあり、企業が社会に対し果たすべき役割を語っている。
 私はこの部分は企業ではなく国家だと考えているが、誰が役割を果たすかだけの違いで中身は同じだった。

 彼が語るに、企業は直接に利益を生み出す周囲に尽力するだけでなく、ボランティアとも言える行為を行うべきだと言うのだ。
 つまり私が書いた日本を救う方法の、途上国への支援である。 その支援が貧困を打開し、その貧困を抜けた先に消費が生まれ、やがては返ってくる。 「情けは人の為ならず」の概念だ。

 私が書いてきていることに、なかなか賛同者は現れない。 だが、世界のトップ中のトップの世界観が、私の世界観に酷似していることがとても嬉しい。
 そんな彼も、その理想にハードルがあることを知っている。 こういった時期には、各国の国民が自国益にこだわり、そのために短期的収益を求める。 それが民主国家においては方向性を決定していくのだ。 ここに衆愚政治が起こるのである。

 ブログの賛同者が少ないことに、私は自分が異端な考えなのかも、と疑いだしている最近、一切の賛同者がいなくとも心強い同士が世界にはいるのだということがわかって、今日はとても幸せだった。

 もっと多くのことが語られたが、とても書ききれない。 だが、私が今まで書き綴ったこととほぼ同様であることは間違いない。 時代は既存と違うあらたな考え方や仕組みを求めているのである。
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