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小説「ヒーズールの夜明け」に登場する村・・・ そのむらおさの独り言?!
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 昨日の日曜、午後からやおら仕事をして戻ってきた時のこと、入り口の小脇に猫がうずくまっているのを見つけた。 外は零下で小雪混じりに風が吹いていた。 
 ふと背中に触れたが、逃げ出す風も無い。 更に触れるとだいぶやせ細っているようで、サイズからして1歳ぐらいの若い猫のようだった。

 息子もそばにいて抱き上げた。 しかし、諸事情があって飼うわけにはいかないし、困った状態になった。 どこかの飼い猫なのか、それとも野良なのか。
 餌を与えればくせになるだろう。 しかし、行くところがないとしたら命の危険に晒される。

 こんな時、あなたならどうしますか?

 息子は数人の友人に携帯電話で「飼えないか?」と打診するも、そうは簡単に引き取り手は見つかるはずもない。 飼い猫の可能性もあるので、「近所の派出所に連れて行ったら?」と伝えると、やがて帰ってきて「預かることはできるが、動物管理センターに連絡して引き渡すことになるだろう」と言われたと言う。
 そうなるとその後は・・・。

 結局、どうすることもできず公園のあずまやに置いてきたと言う。 その猫は朝まで生きることが出来なかったようだ。

 私は猫のことを思いながらも、いろんなことに思いがめぐった。 今問題の派遣労働者や戦地における難民、ヒトとて似たような環境下にいるケースが世界にどれほどあるだろう。

 眼の前で起こらなければ逃げられることも、いざ目前に助けを求められるような場合は、辛い思いをしなければならなくなる。 直接原因を作ったのは自分でなくとも、遠因からは逃れられない。
 自分の力で助けられるのには限度があるのも承知なのだが。

 さて、今日のNHKのクローズアップ現代では、筋萎縮症?の男性が自分が意志を伝達できなくなったら、人工呼吸器を外してくれるよう病院に懇願し、病院側の倫理委員会が承諾したということがテーマになった。
 尊厳死なる言葉がかなり以前に流行って、結果現在に至るまで却下され続けている。 だが、今一度見直す時期に来てるのかもしれないと番組は訴えていた。

 私にとっては何を今更考えるのだろう、という感覚である。 私は個人の権利として「自死」を認めるべきという立場だ。 異論は多々あるだろう。

 「ソイレントグリーン」という映画を若い時に観た記憶がある。 人口が増加し食料が激減した未来を、チャールトン・ヘストン主演で描いた映画だった。 ずばり中身を言うなら、ソイレントグリーンとは食糧危機を打開する画期的な食べ物で、それがどのように作られるのかが秘密だった。 その秘密を探ると「人肉」だったという結末である。

 死にたい人が死ねないで、人命尊重などの美辞麗句は良い。 だが、10人乗った漂流船にいて、生存するのに必要な水や食料が数人分しか無い時に、全員で死ぬのか?生きられる人を選別するのか?

 私が生きている間には恐らく起きないだろうが、地球と言う漂流船が同じ状態になったら、人類はどういった選択をするのだろうか?

 見ずに済めば良いのだが、見てしまった為に辛い思いをする。 そんな出来事が毎日たくさん起こっているのだろう。 だからと言って対岸の火事のように考えていては、やがて自分の身にその災厄が降りかからないとも言えないのである。 何かできることはないのだろうか・・・。 少なくとも無責任に問題を先延ばしにするだけでないことが・・・。
 
 
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