今日ラジオで「二人のアイランド」が流れていた。 「夏が噂してるわ、あなたのことを、ピンボールみたいで、気が置けないの♪」 おや、先日ブログに書いた「気の置けぬ・・・」ではないか。 この文章からすると、アーケードゲームのピンボールとはパチンコ玉の大きいのがスプリングで弾け廻るものだから、あちこちで浮気?する彼氏を不安に思う、ということになってしまう。 この歌詞ができる時には、既に「気が置けない」は誤解されていたのだろうか? そうだとしても、この耳に残る曲が誤解を助長した可能性は否定できない。
先日お亡くなりになった映画界の御大も、故意に誤りを作り出した、と追悼番組で紹介されていた。 それは007シリーズの「007危機一発」だという。 本来は「危機一髪」が正しいのだが、この映画のネーミングにあたりピストルの一発をあてがって付けたのだと、そのセンスを褒めていた・・・。 このポスターを見て漢字を間違えて覚えてしまった人はどれほどいたのだろう・・・。
TVを見ていると誤った言い方や漢字がかなり氾濫していて、修正する暇もないくらいどんどん誤ったものが頭に入力されていく。 しかし、困ったものだとばかり言ってもしょうがない。 所詮、漢字や表現は文化である。 多くの人が誤解すると、やがてそれが正解となり定着していく。 それはそれで受け入れていくしかないのだろう。
常識なんてものも、それを常識と思わぬ人が増えると常識のジャンルから外れていく。 モラルハザードも、頑固な人間がいくら怒っても「そんなのどうってことないじゃん。かわいいもんさ」と言い放されればどうしようもない。 モラルというバーの高さが下がっていくことで、全体的な悪事の歯止めが弱くなっていく。 そんな因果関係はないだろうか。 まあ、 どっちにせよ It's no business of mine. と、しておいたほうが楽ではある。
今日は真夏日になると予想されていたので、山菜採り行は夜明け少し前に出かけた。 朝もやの中散歩する人達や、山あいの狭い耕作地での農作業の人達を横目で見ながら、車は山の奥へと走っていった。 今日の目的はミズ(赤と青)の採取だった。
上の写真がそれなのだが、青ミズは少し小さめに見える。 実際は赤ミズの小さいのや青ミズの大きいのが混じると、採取するときに判別ができない。 葉を寄せて茎の色で初めて分かるようなものだ。 花が咲くようになるとその花で判別できるようになる。
これだけ似ているのだが、二つはまるで違う植物である。 赤ミズはウワバミソウで、青ミズはヤマトキホコリというものだ。 ミズというとほとんど赤ミズを指していて、数も圧倒的に多い。 青ミズはそういう意味で希少価値である。 生息場所も混在するというよりは、別々に群生していて写真のものもかなり離れた箇所から採取した。
またこの二つは、食べ方も少し違っている。 青ミズのほうはかなり柔らかくおひたしなどに向くし、赤ミズは歯ごたえがあって更に粘り気の面で青ミズに勝るので、ミズたたきや漬物に向いている。 青ミズに対しては好き嫌いがはっきりしているようで、「おいしくない」という評価と絶賛する評価に分かれるのが面白いといえば面白い。 わしとして青ミズを語るなら、是非お召し上がりいただきたい、という方だろう。
山菜やキノコにはこうした、似て非なるものが多い。 ミズの場合は幸い両方とも食べられるのだが、似ていても食べられないものや毒だったりするものも多いので気をつけなければいけない。
夜明け頃に出かけたので、7時過ぎには家に戻りついていた。 風が強くなければそれから鯛釣りに行ける時刻だったが、残念ながらそれはできなかった。 それで妻が鯛を買ってきたようだ。 価格を聞くと随分と安い。 今年は良く獲れているので安いようだ。 これなら高い油代を使って不確実な釣果に期待するより、だまって買ったほうが無難だなと思った。 漁師さんの気持ちがよぉく解る。
鯛は刺身になり、青ミズとでカルパッチョ、アラは赤ミズと豆腐などで潮汁、頭はカマ焼きとなって食卓にのぼった。 ビールも出てきて、いよいよ夏が来たなと感じるひとときだった。
「3K」と言ったら、何を思い浮かべるだろう。 かなり以前に「きつい」「汚い」「危険」を、その頭文字をとって3Kの職種と表現した。 それよりずっと以前に「ホワイト(ブルー)カラー」という言葉もあった。
3Kはそのブルーカラー(現業・技能系)で言われる言葉であった。 わしの正業は、まさしくそれである。
最近、漁業に携わる方々が燃料の高騰で、休漁を余儀なく?されている。 無言の抗議なのだろう。 経済原則において、需要と供給のバランスで商品の価格が決まる。 資本主義の大原則だ。 仮に休漁して、近海ものが減っても外国産が潤沢に供給されれば、我々庶民は相変わらずの価格で魚介類を購入できる。 休漁するのはブルーカラーで供給するのは(日本においては)ホワイトカラーである。 いわゆる商社だ。
イカ漁・休漁の報道を見ると、多くは中高年(高老年)だ。 農家の報道を見る。 その映像の多くは中高年である。 わしの現場で共に働く方々も、同様だ。 衣食住、最低限必要なものである。 わしは「衣」の分野のことはよく知らないが、食と住に関する現場作業員の高齢化に一抹の不安を覚える。
一方、団塊の世代の大量退職による技術の継承に関する警鐘も鳴らされている。 だが、食や住に関する現場の危機はあまり報じられていない。
3Kという言葉と共に、うとんじられた「額に汗して働く職業への影響」。 ホワイトカラーの方々がうまくフォローしきれるか、わしは不安でならない。 食料自給率の次に取り沙汰されるのは、きっと現場作業員の不足だろう。
いやもうすでに、介護の現場やそれ以外の現業・技能職の外国人に対する依存度が高まっているようだ。
暑い日になった今日。 額に手ぬぐいを巻き、流れくる汗を止めて仕事をした。 一杯飲みながら、日頃の不安を綴ってみた。
しかし、以前(6/7)に経緯を書いたが、その流れでジェネリック薬品に切り替えることができた。
そのことでの個人負担の差額は、-1000円丁度であった。 保険により本人負担3割であるから、保険が負担する金額の差額は-2340円である。 これが28日分であるから、年間健康保険組合の負担額を30500円軽減することができたことになる。
わしがこんなことを言い出したので、少し前に妻が同様に処方箋を持っていった薬局に、「ジェネリックでお願いします」と伝えたそうだ。 そうしたところ薬局は「差額が70円にしかなりませんが?」と言ったそうである。 なんということだろう・・・。 そんな小額でも積もり積もれば大金になるだろうに。
いろんな仕事がある中に「聖職」と呼ばれる仕事がある。 本来の意味は宗教がらみなのだが、他人のために尽くすべき職業を指すようになってきたと思う。 先生や医師などが主にその候補だろうが、その種に属すジャンルの仕事や公務員なども当てはまるように思うし、そうあるべきではなかろうか。
薬剤師という職業も医療に関わる以上、聖職のサポートをすべき地位にあるだろうことは、わしからすれば当然と思われる。 老人医療を中心に医療費の増大が叫ばれる今日、仕事を通じて社会に貢献する、という気概がその種の職業人に希薄だとするなら悲しいことだ。
一方、救急医療や産科・小児科医師に重い負担がかかっているという。 このことにも一案があるのだが、それは差し置いて、薬によって浮いた医療保険の税負担(補助金)をそちらに手厚く拠出すれば、医師が現場から逃亡する(表現が悪いかも)事象をいくらかでも食い止められると思うのだが。
そんな普通の考えが出来ないあたりに、わしには理解できぬこの国の利権の闇があるのだろう。
どう間違えるのかというと、「情けをかけるとその人が甘え、だめになるのでその人の為にならない」ということらしい。 うまい解釈だ。 この表現には当初、この後ろに言葉が続き「めぐりめぐって我へと帰る」とかだったと思う。 本来、人の為につくせば、自分の身に戻ってくるんだから、困ってる人は大いに助けなさい。 ということなのだから、大変な違いだ。 ややもすると他人に不親切な世の中になっていることの背景に、この表現の影響があるとしたら大変なことだと思った。
「気の置けぬ仲間」という表現の解釈も、反対な解釈があると言う。 本来の意味は、仲の良い密接な関係において余計な気遣いなどをその間に置けないくらいの仲間、というものなのだが、「気が休まらぬ仲間」という解釈をする人が増えているそうだ。
そういえば学生時代リクリェーションか何かの時に教授を誘おうとした友人が、「枯れ木も山の賑わい、と言いますから」などととんでもないことを言ったらしい。 悪気がないのは承知だが、教授はさぞかしムッとしたことだろう。 日本語はきちんと使わないと大変なことになる。
ところで東北地方が今日入梅したとのこと、かの地震の被災地にも無情に降るだろう雨に、2次災害が起こらぬことを祈っている。 また、九州も大雨だという。 自然のすることとはいえ、それに人間の営みが拍車をかけているらしいことに、「何とかしなくては」の想いをあらたにしてしまう。