小説「ヒーズールの夜明け」に登場する村・・・ そのむらおさの独り言?!
まもなく深い眠りにつくだろう時にそれは起こった。 岩手北部地震である。 寝入りばなを襲われた形になったわしは、とりあえず上半身を起こし暗闇の中でTVのリモコンを操作した。 揺れは徐々に大きくなり、パソコンデスクのCRTモニタがユサユサ揺れていた。 TVで地震情報が流れわしの地域が震度4であることがわかり、しばらくは震源の深さや規模、津波情報や余震の可能性を注視した後、再び眠りにつくことにした。
朝起きてもまだ地震被害の全体像が明らかにならず、あまり大きな被害が無ければ良いなと思いつつ仕事に出かけた。 昼になってほぼ被害の全容が見えてきたが、思ったより被害が少なく良かったと思う。
震度6強と言うのでさぞかし被害が大きいだろうと予想したのに、それほどでなかったため震度6強の意味するところを調べてみた。 直近の岩手・宮城内陸地震と震度では同じなのに、被害の大きさがまるで違ったからである。
そもそも震度6強とは、1996年に以前の7段階表示から10段階表示に変わってできた表現である。 そしてこれは計測震度6.1~6.5を指している。 つまり機械が決めているのだ。
それ以前はどうであったかと言うと、測候所の職員が決めて報告を行っていた。 主観的要因の排除・迅速性の確保・高密度化への対応を目的として、震度判定が人から機械に変わったのだ。
余談であるが、震度6弱は震度6より強いか弱いか? これは表現による。 かつての震度6は今で言うところの計測震度5.6~6.5を指し、幅があったので計測震度5.6~6.0を震度6弱、また震度6強は上記のように計測震度6.1~6.5と分けたのだ。
だからかつての震度6と比較するなら、同じことだと言わなければならないし、計測震度6と比較するなら弱いと言わねばなるまい。
さてこのように震度判断が機械に委ねられたのだが、機械はどのように震度を判定しているのか? 調べてみると地震計とマイクロコンピューターで計測震度を判定しているという。 そしてその仕組みは、東西方向と南北方向と上下方向を計測しているとの事。 数学で言う3次元測定を行い分析するようだ。
それでも震度と被害にこれほどの差が出る。 本来は被害状況から震度を決定していたのにである。 本末転倒だ。 ちなみに震度6強・弱の定義の一つとして、木造建物に対する被害の項目があるが、そこに「耐震性の低い建物は倒壊することがある(6弱)、倒壊するものが多い(6強)」とある。 今回、木造建物の半壊や全壊は無いらしい。 じゃあ耐震性能の高い建物だらけだったのだろうか? そんなことはあるまい。
以前もブログに書いたが、地震のファクターに「加速度」というものがある。 これは「ガル」という単位で表されるが、直近の岩手・宮城内陸地震では稀にみる強さで4000ガル以上だったと言う。 今回はどうか? 盛岡での測定値だが1000ガルちょっとだと言うことだ。
くわえて「キラーパルス」という言葉が出てきた。 これは何かというと、揺れの周期が1~2秒の場合建物の損壊が激しくなるのだという。 今回はどうであったか? 0.2秒の小刻みな揺れが多かったとのこと。
この二つの要因を前述のマイクロコンピューター君は、加味してくれる仕組みなのだろうか?
今、次世代地震計なるものが開発されたらしい。 詳細はわからぬが最新のマイコン搭載の上、解析して欲しいものである。 今回は強い方へ判断したから良いようなものの、逆だったらたまらない。
また一方、地震予報の観点で今回問題が生じた。 岩手の多くで予報が間に合わなかったのだ。 そもそもこの予報は各観測点におけるP波とS波の到達時刻の差から割り出されている。 水平方向の差なら観測地点の距離の差で解決できるが、今回は何せ震源が120kmもの地下である。 この手法は成立しないのだろう。
地下掘削の技術で地下に震度計を設置しなくては、この解決はできない。 関東や東海地方で懸念される大規模地震は、今回の地震と同様のプレート型地震であるから、早急に対策を立てねばならぬように思う。
地震に伴い大雨が降っている地域もある。 さらなる災害が起こらぬよう願うばかりである。
朝起きてもまだ地震被害の全体像が明らかにならず、あまり大きな被害が無ければ良いなと思いつつ仕事に出かけた。 昼になってほぼ被害の全容が見えてきたが、思ったより被害が少なく良かったと思う。
震度6強と言うのでさぞかし被害が大きいだろうと予想したのに、それほどでなかったため震度6強の意味するところを調べてみた。 直近の岩手・宮城内陸地震と震度では同じなのに、被害の大きさがまるで違ったからである。
そもそも震度6強とは、1996年に以前の7段階表示から10段階表示に変わってできた表現である。 そしてこれは計測震度6.1~6.5を指している。 つまり機械が決めているのだ。
それ以前はどうであったかと言うと、測候所の職員が決めて報告を行っていた。 主観的要因の排除・迅速性の確保・高密度化への対応を目的として、震度判定が人から機械に変わったのだ。
余談であるが、震度6弱は震度6より強いか弱いか? これは表現による。 かつての震度6は今で言うところの計測震度5.6~6.5を指し、幅があったので計測震度5.6~6.0を震度6弱、また震度6強は上記のように計測震度6.1~6.5と分けたのだ。
だからかつての震度6と比較するなら、同じことだと言わなければならないし、計測震度6と比較するなら弱いと言わねばなるまい。
さてこのように震度判断が機械に委ねられたのだが、機械はどのように震度を判定しているのか? 調べてみると地震計とマイクロコンピューターで計測震度を判定しているという。 そしてその仕組みは、東西方向と南北方向と上下方向を計測しているとの事。 数学で言う3次元測定を行い分析するようだ。
それでも震度と被害にこれほどの差が出る。 本来は被害状況から震度を決定していたのにである。 本末転倒だ。 ちなみに震度6強・弱の定義の一つとして、木造建物に対する被害の項目があるが、そこに「耐震性の低い建物は倒壊することがある(6弱)、倒壊するものが多い(6強)」とある。 今回、木造建物の半壊や全壊は無いらしい。 じゃあ耐震性能の高い建物だらけだったのだろうか? そんなことはあるまい。
以前もブログに書いたが、地震のファクターに「加速度」というものがある。 これは「ガル」という単位で表されるが、直近の岩手・宮城内陸地震では稀にみる強さで4000ガル以上だったと言う。 今回はどうか? 盛岡での測定値だが1000ガルちょっとだと言うことだ。
くわえて「キラーパルス」という言葉が出てきた。 これは何かというと、揺れの周期が1~2秒の場合建物の損壊が激しくなるのだという。 今回はどうであったか? 0.2秒の小刻みな揺れが多かったとのこと。
この二つの要因を前述のマイクロコンピューター君は、加味してくれる仕組みなのだろうか?
今、次世代地震計なるものが開発されたらしい。 詳細はわからぬが最新のマイコン搭載の上、解析して欲しいものである。 今回は強い方へ判断したから良いようなものの、逆だったらたまらない。
また一方、地震予報の観点で今回問題が生じた。 岩手の多くで予報が間に合わなかったのだ。 そもそもこの予報は各観測点におけるP波とS波の到達時刻の差から割り出されている。 水平方向の差なら観測地点の距離の差で解決できるが、今回は何せ震源が120kmもの地下である。 この手法は成立しないのだろう。
地下掘削の技術で地下に震度計を設置しなくては、この解決はできない。 関東や東海地方で懸念される大規模地震は、今回の地震と同様のプレート型地震であるから、早急に対策を立てねばならぬように思う。
地震に伴い大雨が降っている地域もある。 さらなる災害が起こらぬよう願うばかりである。
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一昨日、今年初の釣行に出かけた。 狙いは旬の鯛である。 でかいのが釣れたら自慢げに写真など載せようとのもくろみも、今回は空振りに終ってしまった。
小型の和船で3人での釣行。 50cmを頭に40cm台数枚、30cm台数枚あとはおちびちゃん合計10枚であった。 わしは37.5cm(小数点以下はどうでもいいのだが、少しでも大きいと訴えたい)を頭に4枚の釣果。 50cmは鯛釣り初心者が釣り上げた。 ビギナーズ・ラックだと、当の本人が語っていた。
先週、漁業関係者が一斉にストライキをした。 船にかかる燃料費の高騰で、漁に出ても採算が合わないとの悲鳴だった。 それは釣り船にも同様に言える事で、わしの場合知り合いの船に便乗させてもらい相応の負担で勘弁してもらっているのだが、まともな釣り船に乗ろうものなら乗船料金だけでも¥6000はかかるだろうから、よほどの大釣りでもしない限り、高価な魚についてしまう。 まあ、釣りは漁ではないので、費用対効果を追及すべきではないのではあるが。
釣りをしながらぼんやり考えてみた。 漁業の未来と水産資源についてである。
そもそも日本人は太古の昔より魚を獲っていた。 釣り針での釣りや囲い込んでの銛、それが400年前くらいから網を使っての漁に変わっていった。 今でもイカやカツオやまぐろなどは釣りでの漁法だが、多くの魚は網で獲られている。
それに加え、船の動力を風や人力に頼っていた時代と、石化燃料のエンジンで速く遠くまで魚を追える時代との漁獲量の差異は明確だろう。
近年、網で獲られる多くの魚は漁獲高が著しく減少している。 大きく育つ前に一網打尽に獲り続けると、やがて極端な魚の減少が起きるかもしれない。 秋田の名物であるハタハタという魚は、獲り過ぎにより一時資源の枯渇が懸念された。 秋田県の漁業関係者はその時、断腸の思いで禁漁に踏み切ったのである。 今でも漁期や漁獲量を制限した漁が行われている。 結果、ハタハタの資源が復活した。 魚体も3、4年生きた大振りのものが増えたのだ。
NHKの「クローズアップ現代」で「魚が消える!?」というのを観た。 関鯖が釣れなくなったということだった。 釣れても2年もので、卵を大量に産む3年ものはほとんどいないとのこと。 他にまぐろのことなど伝えていた。 同様の手法が必要な時期かもしれない。
確かに漁業関係者の痛みはよくわかる。 しかし、水産資源の確保の立場から見ると、多くの魚を採り続けるのにも問題がありそうである。 また、そうは言っても漁業が滅んで良いわけもない。 なかなか難しい問題だな、と漂う船の上で考えていた。
小型の和船で3人での釣行。 50cmを頭に40cm台数枚、30cm台数枚あとはおちびちゃん合計10枚であった。 わしは37.5cm(小数点以下はどうでもいいのだが、少しでも大きいと訴えたい)を頭に4枚の釣果。 50cmは鯛釣り初心者が釣り上げた。 ビギナーズ・ラックだと、当の本人が語っていた。
先週、漁業関係者が一斉にストライキをした。 船にかかる燃料費の高騰で、漁に出ても採算が合わないとの悲鳴だった。 それは釣り船にも同様に言える事で、わしの場合知り合いの船に便乗させてもらい相応の負担で勘弁してもらっているのだが、まともな釣り船に乗ろうものなら乗船料金だけでも¥6000はかかるだろうから、よほどの大釣りでもしない限り、高価な魚についてしまう。 まあ、釣りは漁ではないので、費用対効果を追及すべきではないのではあるが。
釣りをしながらぼんやり考えてみた。 漁業の未来と水産資源についてである。
そもそも日本人は太古の昔より魚を獲っていた。 釣り針での釣りや囲い込んでの銛、それが400年前くらいから網を使っての漁に変わっていった。 今でもイカやカツオやまぐろなどは釣りでの漁法だが、多くの魚は網で獲られている。
それに加え、船の動力を風や人力に頼っていた時代と、石化燃料のエンジンで速く遠くまで魚を追える時代との漁獲量の差異は明確だろう。
近年、網で獲られる多くの魚は漁獲高が著しく減少している。 大きく育つ前に一網打尽に獲り続けると、やがて極端な魚の減少が起きるかもしれない。 秋田の名物であるハタハタという魚は、獲り過ぎにより一時資源の枯渇が懸念された。 秋田県の漁業関係者はその時、断腸の思いで禁漁に踏み切ったのである。 今でも漁期や漁獲量を制限した漁が行われている。 結果、ハタハタの資源が復活した。 魚体も3、4年生きた大振りのものが増えたのだ。
NHKの「クローズアップ現代」で「魚が消える!?」というのを観た。 関鯖が釣れなくなったということだった。 釣れても2年もので、卵を大量に産む3年ものはほとんどいないとのこと。 他にまぐろのことなど伝えていた。 同様の手法が必要な時期かもしれない。
確かに漁業関係者の痛みはよくわかる。 しかし、水産資源の確保の立場から見ると、多くの魚を採り続けるのにも問題がありそうである。 また、そうは言っても漁業が滅んで良いわけもない。 なかなか難しい問題だな、と漂う船の上で考えていた。
「象の背中」は昨年公開された映画のタイトルである。 先日この映画を観る機会があった。 これは秋元康氏の初長編小説を映画化したもので、中年のエリートサラリーマンが癌で余命半年と宣告され、延命治療を拒否し自らの人生に関わった人を訪ね歩く内容だった。
劇中で「象の背中」という言葉は出なかったように思うが、「象」は使われていた。 過去、会社の都合で見捨てて倒産した会社の社長との再会で、その社長が「象は自らの死期を悟ると群れから離れ、墓場へと向かう」と表現した。 その社長は胃がん手術を受け、余命1年の宣告を受けていたのである。
原作を読んでないので、「象の背中」の意味することを明確には知りえないが、「子供は親の背中を見て育つ」という格言からして、ヒトは「象の背中」を見て自らの最後を考えなければならない、と捉えるのは行き過ぎであろうか。
昨日書いたように、愛犬が最後の時を迎えつつあるかもしれない現状。 同居する母が高齢であること。 わしも妻も介護に関わる仕事をしていること。 それらがわしに、命の後半にどうあるべきかを考えさせる材料になっている。
急に話は変わるが、世界の人口は増え続けると共に高齢化の道を辿っている。 地球温暖化も世界的水不足の不安も、それにより現在進行中だったり潜在的にくすぶってる問題と直結しているように思う。
そうなると人類そのものが「象の背中」に学ばねばならぬ時期が、そう遠くないような気もする。
劇中で「象の背中」という言葉は出なかったように思うが、「象」は使われていた。 過去、会社の都合で見捨てて倒産した会社の社長との再会で、その社長が「象は自らの死期を悟ると群れから離れ、墓場へと向かう」と表現した。 その社長は胃がん手術を受け、余命1年の宣告を受けていたのである。
原作を読んでないので、「象の背中」の意味することを明確には知りえないが、「子供は親の背中を見て育つ」という格言からして、ヒトは「象の背中」を見て自らの最後を考えなければならない、と捉えるのは行き過ぎであろうか。
昨日書いたように、愛犬が最後の時を迎えつつあるかもしれない現状。 同居する母が高齢であること。 わしも妻も介護に関わる仕事をしていること。 それらがわしに、命の後半にどうあるべきかを考えさせる材料になっている。
急に話は変わるが、世界の人口は増え続けると共に高齢化の道を辿っている。 地球温暖化も世界的水不足の不安も、それにより現在進行中だったり潜在的にくすぶってる問題と直結しているように思う。
そうなると人類そのものが「象の背中」に学ばねばならぬ時期が、そう遠くないような気もする。
ムクばあさんに異変が起こったのは、先週土曜の朝であったらしい。 ムクばあさんとは、我が家の愛犬である。 ヒトの年齢に換算すると70歳台中盤の牝犬だ。
夕方の散歩はわしが付き合うことが多いのだが、朝の散歩は妻の担当だった。 散歩を終えた妻が、「お父さん、ムク、昨日変じゃなかった?」と訊いてきた。 「何故?」と訊くと、「フラフラして歩けないのよ」と言う。
様子を見ていると変なのはそれだけじゃなく、よだれをダラダラ流すし終いには食べたものを戻してしまった。 すわ大変と動物病院に連れて行った結果、腎不全を起こしかけているとの診断。 だがその診断にどうにも納得がいかなかった。
注意してみると眼球の振動や斜頚(頭が斜めになる)が見られ、ヒトで言うなら脳疾患っぽかった。 我が家は重苦しい雰囲気に包まれた。 老犬ゆえ、いつお迎えが来てもおかしくはなかったからである。 実際、死後の処理のことまで話題に上った。
インターネットの情報量は凄いものがある。 素人なりにその症状から「特発性 前庭疾患」という病名を導き出したのである。 特発性とは、原因不明を意味するらしく、前庭とは脳内の部位を指し、やはり脳疾患の可能性が高いように思われた。
今日、別の動物病院に連れて行き(セカンドオピニオンだな)、獣医も我々に近い所見をもって、ステロイド注射を打ってくれたようだ。 本当の病名はCTやMRIで検査しなければ判明しないらしいが何せ老犬である。 そこまでしなくても、ということになって経過観察という手法をとることになった。 明日も行かねばならない。
でも、インターネットの情報どおり、徐々に回復の兆しを見せており、一つの山は越えたかと思う。
14~5年ともに暮らしたペットは、もはや家族である。 その眼はだいぶ前から白内障で曇っているが、我らを今でも認識し尻尾を振る。 ムクばあさんがどれほど回復できるかわからないが、余生を安寧に過ごせるよう、一家全員でホスピスのように見守りたい。
わが母も齢80を過ぎそれでも今は元気なのだが、ささやかな変化も見逃さず見守らなくては、の想いを強くする出来事であった。
夕方の散歩はわしが付き合うことが多いのだが、朝の散歩は妻の担当だった。 散歩を終えた妻が、「お父さん、ムク、昨日変じゃなかった?」と訊いてきた。 「何故?」と訊くと、「フラフラして歩けないのよ」と言う。
様子を見ていると変なのはそれだけじゃなく、よだれをダラダラ流すし終いには食べたものを戻してしまった。 すわ大変と動物病院に連れて行った結果、腎不全を起こしかけているとの診断。 だがその診断にどうにも納得がいかなかった。
注意してみると眼球の振動や斜頚(頭が斜めになる)が見られ、ヒトで言うなら脳疾患っぽかった。 我が家は重苦しい雰囲気に包まれた。 老犬ゆえ、いつお迎えが来てもおかしくはなかったからである。 実際、死後の処理のことまで話題に上った。
インターネットの情報量は凄いものがある。 素人なりにその症状から「特発性 前庭疾患」という病名を導き出したのである。 特発性とは、原因不明を意味するらしく、前庭とは脳内の部位を指し、やはり脳疾患の可能性が高いように思われた。
今日、別の動物病院に連れて行き(セカンドオピニオンだな)、獣医も我々に近い所見をもって、ステロイド注射を打ってくれたようだ。 本当の病名はCTやMRIで検査しなければ判明しないらしいが何せ老犬である。 そこまでしなくても、ということになって経過観察という手法をとることになった。 明日も行かねばならない。
でも、インターネットの情報どおり、徐々に回復の兆しを見せており、一つの山は越えたかと思う。
14~5年ともに暮らしたペットは、もはや家族である。 その眼はだいぶ前から白内障で曇っているが、我らを今でも認識し尻尾を振る。 ムクばあさんがどれほど回復できるかわからないが、余生を安寧に過ごせるよう、一家全員でホスピスのように見守りたい。
わが母も齢80を過ぎそれでも今は元気なのだが、ささやかな変化も見逃さず見守らなくては、の想いを強くする出来事であった。
「伝国の辞」とは何か? 上杉 治憲(鷹山)が子供に伝えた言葉である。 上杉?、知らない人にお教えするが、昨年読売新聞社が行った日本の自治体首長へのアンケートで「理想のリーダー」第1位にランクされた人物だ。 アメリカのジョン・F・ケネディやビル・クリントン元大統領達も、日本人の政治家の中で一番尊敬している人と称している。 その記者会見で、日本人記者が「Yozan」って誰ですか? と訊ねた話も有名らしい。
そもそも米沢藩(現山形県米沢市)の藩主上杉家に養子となり、財政的に幕府へ領地返上寸前までいった藩財政を立ち直らせたことが大きな功績となっている。 その鷹山公が次期藩主に申し伝えた藩主心得が「伝国の辞」なのである。 その内容をご紹介しよう。
一、国家とは先祖から子孫へ伝えるべきものであり、国家を私物のように扱うべきではない。
一、人民は国家に属しているものであって、人民を私物のように扱うべきではない。
一、国家人民の為にあるのが君主であり、君主の為にある国家人民ではない。
今の政治家や行政に携わる人々に聞かせてやりたいものだ。 一方、鷹山公は身近な言葉も残しておられる。
「為せば成る、為さねば成らぬ 何事も」 ここまでは大抵の方がご存知であろう。 この続きの下の句もあるのだ。 「成らぬは人の 為さぬなりけり」である。 わしにとっても常に厳しい言葉だ。
成したい事があって成らぬのは、為してないからだ! わしもこの言葉を心に刻み生きてきているが、努力が全然足らんのだろう。 成したい事がうまく成せない。
今回でこのブログが100回に到達した。 石の上にも3年、という言葉もあるが、時代はそんなに緩やかでは無さそうだ。 わしも成したい事の為に、違うステージを求めるか、考えなければならないと思う。 それで毎日のブログ更新を休止する。 今まで読み続けてくださった方がもしおいでになるなら、しばらくの休暇を賜りたいと思う。 そういった僅かな読者に「ありがとう」。
そもそも米沢藩(現山形県米沢市)の藩主上杉家に養子となり、財政的に幕府へ領地返上寸前までいった藩財政を立ち直らせたことが大きな功績となっている。 その鷹山公が次期藩主に申し伝えた藩主心得が「伝国の辞」なのである。 その内容をご紹介しよう。
一、国家とは先祖から子孫へ伝えるべきものであり、国家を私物のように扱うべきではない。
一、人民は国家に属しているものであって、人民を私物のように扱うべきではない。
一、国家人民の為にあるのが君主であり、君主の為にある国家人民ではない。
今の政治家や行政に携わる人々に聞かせてやりたいものだ。 一方、鷹山公は身近な言葉も残しておられる。
「為せば成る、為さねば成らぬ 何事も」 ここまでは大抵の方がご存知であろう。 この続きの下の句もあるのだ。 「成らぬは人の 為さぬなりけり」である。 わしにとっても常に厳しい言葉だ。
成したい事があって成らぬのは、為してないからだ! わしもこの言葉を心に刻み生きてきているが、努力が全然足らんのだろう。 成したい事がうまく成せない。
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