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小説「ヒーズールの夜明け」に登場する村・・・ そのむらおさの独り言?!
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 総裁選以来広く話題になった衆院選、経済の問題に振り回され小休止中である。 野党はとにかくこの機会を逃すまいと、やんやの催促をしていたが、何せ解散のカードは総理が握っている。
 その有利さを最大限発揮させるべく、タイミングを図っているのだろうが、それ自体邪道だ。 

 私の持論からすると、インド洋での洋上給油の「テロ特措法延長」を決められれば、あとはおいしい話をばらまいた後で解散というシナリオが容易に予想される。
 そうはさせじと、総理の身内の会社のスキャンダル?が流れてきているが、どう影響があるのか様子を見るしかない。

 昨年ちょっと話題になったドキュメンタリー映画『選挙』、世界各国で上映された。 日本独特?のドブ板選挙の実情を描いた国際的にわが国が恥を晒した映画である。 いわゆる衆愚政治(愚かな大衆によって民主的に行われる政治)を暴露した映画であり、日本の政治レベルの低さを知らしめてしまった。

 優秀な?政治家を生み出す環境が、わが国では整っていない。 その理由は「公職選挙法」に起因している。 まずは立候補に対する制限、「供託金」という名の差別。 街宣活動による選挙資金の格差。 政党による公認という政治家の人形化(多数決のコマでしかない存在)。
 これが本物の政治家の出現を阻んでいる。

 政治家を選ぶ際、何を根拠にするか? 誰それに頼まれたからとか、選挙カーで廻ってきた時握手したとか、身近に感じたとか、そんなことで選ばなければならないとしたら、政治は破綻していると言っていいかもしれない。

 衆院選が近々だと予測した立候補予定者が、早々に選挙事務所を立ち上げ、起こらない解散宣言に事務所維持の経費がかさみ大変だという。 選挙活動の量で争う選挙ならではのことだ。 選挙は中身である。 立候補者の政策や人物を売り込むのに、多額な費用がかかること自体おかしなことなのである。

 TVがほぼ100%普及した今、何故選挙カーなのだろう。 政策を訴えるのに二酸化炭素を撒き散らし走る必要があろうか。 極めて非生産的行為である。 
 供託金制度は、いたずらに候補者を乱立させない歯止めだと言う人がいる。 私は、立候補の条件を資金力ではなく政策実行力とすべきだと考えている。 その為に、立候補の条件として1年ぐらいの講習義務をしたら良い。 立候補する場所の知識を叩き込むのである。

 行政の何たるかを知らず、「育ててください!」などと言って立候補する似非(えせ)候補者。 政治というのは待ったなしなのではないだろうか。 リリーフで登板した投手が失点しても、新人だから大目に見て!、それがまかり通るこの国の政治は狂っている。

 国家公務員法と公職選挙法の改正を訴える人物や政党が出てこない限り、この国は世界で起きている資本主義や民主主義の崩壊から救われないと思う。
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