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小説「ヒーズールの夜明け」に登場する村・・・ そのむらおさの独り言?!
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 箱根駅伝の魅力の一つとして、登場選手の多いこともあげられる。 今年は記念大会ということもあって、23チーム230名のランナーが走った。 走る時に映されるのは、主にトップを争っている場合と順位が入れ替わる時、そして途中の計測地点や中継所の襷(たすき)を渡す場面などである。 そして悲しくも途中棄権なども映る場合がある。
 230名全てが映るとも限らないが、映る時間の多少の違いはあってもほぼ映るのではなかろうか。

 映るランナーは戦っているわけで、走区の後半は必ずと言っていいほど汗まみれの苦痛に満ちた顔つきに変わっていく。 精一杯努力をする彼らの姿に、視聴者はエールを送るのだ。

 さて、頑張る彼らではあるのだが、勝負は無情で嫌が応にも彼らに順位を付けていく。 そんな彼らの優劣?は何で決まるのだろうか?
 練習努力の差だろうか? 或いはDNAによる個体の優劣? 個体の身体能力のピークと開催日の一致不一致? (実際、エントリー変更が直前であることも多い) 体のみでなくメンタルな部分の強弱?
 実際はその全てが関わっているのだろう。

 だから、スポーツ選手の優劣は努力のみによって決定するのではなく、その素質によっても大きく左右されるのではないだろうか? ヒトの個体は、そのように多様なのだ。

 スポーツに限らず社会で成功するしないも、いろいろな要素で影響を受ける。 そんな中、定額給付金の支給は公平であるべき、と政府は言っている。 格差社会が就学の格差を生み、格差が連鎖すると言われだした今日、いつになったら「公平」の意味がわかるのだろうか? 公平でないものを公平に扱おうとすることが不公平であることを・・・。
 少なくとも世襲議員や総理は、自分自身が他の大衆と公平な条件下で育ってきたと思っているのだろうな。

 額に汗してなおかつ良い記録を出せないまま泣き崩れる選手を見るにつけ、そんなことを考えずにはいられなかった。
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