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小説「ヒーズールの夜明け」に登場する村・・・ そのむらおさの独り言?!
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 昭和40年代、明治100年となる頃「明治は遠くなりにけり」という言葉が流行った。 そもそもこれは、中村 草田男氏の句集(昭和11年)にある「降る雪や明治は遠くなりにけり」の一部であった。 氏が発表したのが明治が終って25~6年の頃であり、どういう感慨でその句を発したのかはわしは知らない。

 8月にはいると、原爆の話題や戦争の話題が多くなるように思う。 先祖の霊が戻ってくると言う「お盆」に終戦記念日が重なり、「死」を顧みるのにある意味良い時期なのかもしれない。
 戦争が終って63年、ということは戦後すぐ生まれた人が63歳。 そこそこの記憶が残る年齢を7歳としたら、終戦頃の記憶がある人は70歳。 戦争にある程度関わった最年少が15歳だとするなら、その人は78歳になっていることになる。
 わしの母は81歳で、それなりに戦時中の記憶を持っている。 だがそれほど酷い目にはあっていないようだ。 亡き父も戦争には行っておらず地元で仕事に就いていたのだが、生前「土崎空襲」の様子を語ったことがあった。 「土崎」とは現在秋田市の一部の港のある地域だが、秋田の八橋油田を背景に製油所や貯油タンクがあった関係で、手痛い爆撃を受けたのである。 一度目の爆撃では設備が主に破壊され、それを消火しようと集まった人達が二度目の爆撃で多く死傷したようだ、と亡き父は語っていた。

 南方の戦線や沖縄での当時の様子を、「墓まで持っていくつもりだった」と言う方々が少しずつ語りだしている、そんな中身の番組を数本観たが、その悲惨さはどうやっても「実感」というレベルでは感じることはできない。 そんな生易しいものではないのだろうとだけは思う。
 「記憶を記録に」ということが言われている。 恒久平和の為に必要だろう。

 一方、そんな経験を持つ日本という国にあって、わしは「いつまで戦争を引きずれば良いのだろう?」という疑問を時折感じる。 隣国韓国の国民は、「一番脅威のある国は?」という問いに対し「日本」をトップに上げていると言う。 過去の問題や竹島問題があるのは充分承知だが、日米・日韓同盟というものが現実に存在し、同じ欧米寄りの民主主義国家だというのに。
 日本という国が、今尚他国に脅威を感じさせているということを、どう考えれば良いのだろう? 国防からして脅威と感じられないより良い、と考えるのか。 こんな誤解?を早く解かなくては、と考えるのか。 現状を的確に捉えることのできない国は放っておけばよい、と考えるのか。

 世界の現状のこともあって、「戦争は遠くなりにけり」と簡単に口にはできそうにない。
 
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