小説「ヒーズールの夜明け」に登場する村・・・ そのむらおさの独り言?!
「間違った標識で検挙」、こんなタイトルで報じられたニュース、愛知県の出来事だそうだ。 誰かが市販の一時停止の標識をつけたために、5人が反則切符を切られたという。 まさに誤認逮捕である。
一時停止すべき場所なので標識があるのか? 標識があるので一時停止しなければならないのか? そんなことは言われるまでも無い。 正答は前者である。 なのに取り締まった警察官には、そんなことは気にならないようだ。 だからこそ標識があるので取り締まったのだろう。
つまりはこの警察官に、交通取締りの必要性という価値観や、それをすることにより一般市民の危機回避を図るという主義も無い。
これは一つの例に過ぎないが、多くの人達は自分自身の価値観や主義を他人に委ねていることが多いのではなかろうか? 時にはマニュアルや風潮という名の下に。
ノーベル賞受賞、これはその選考委員の価値観による受賞である。 素粒子の種類が6種類以上無ければ現実に起きる現象が説明つかないという説を唱え、やがてそれが立証されたことによる受賞者達。 クラゲの発光の不思議さを単純に追求した受賞者。 たまたま発見した発光性たんぱく質が、後に医学に大きな発展をもたらした。 実際その下村氏は自ら「もらえるとするなら生物か医学だと思っていた。まさか化学賞とは・・・」とおっしゃっている。 本音だろう。
俄かに受賞者の過去売れなかった本が「夢を叶えるゾウ」より人気が上になったとニュースで言っていた。 権威あるノーベル賞をとったのだから、ということがその本が売れる原因になっているだろうと推測するが、購入する人の価値観は他人の価値観を単純に取り入れているだけなのでは?という見方も出来なくは無い。 そうでない方に対しては失礼をお詫びする。
私は天邪鬼なので、世相に迎合するのを好まない。 自分の価値観を大事にしたいと思う。 自分が少数派だろうということも感じているし。
素粒子研究については、「カミオカンデ」でのニュートリノ観測や大型加速器(今回の素粒子理論の立証に大きく寄与したと思われる)の存在を知っていたし、ニュースで言われている通り、ずっと過去の話であった。 最近日本の物を上回る大型加速器がヨーロッパにできたというニュースも記憶に新しい。
私は受賞者をどうのこうの言うつもりは毛頭ないのであって、何かメディアが提供する報道に対し大衆が追従していく姿に、違和感を感じるだけなのだ。 むしろこうした機会に、今のところ陽の目をみていない研究者が多数いることを認識すべきで、その成果がノーベル賞をとれるかどうかはある意味その人の運なのだと思う。
私としては受賞者の栄誉に対し素直にそれを讃え、その方たちのノウハウや背景の秘密をいくらかでも盗むことができればそれが自分の価値に繋がると思うだけである。
一時停止すべき場所なので標識があるのか? 標識があるので一時停止しなければならないのか? そんなことは言われるまでも無い。 正答は前者である。 なのに取り締まった警察官には、そんなことは気にならないようだ。 だからこそ標識があるので取り締まったのだろう。
つまりはこの警察官に、交通取締りの必要性という価値観や、それをすることにより一般市民の危機回避を図るという主義も無い。
これは一つの例に過ぎないが、多くの人達は自分自身の価値観や主義を他人に委ねていることが多いのではなかろうか? 時にはマニュアルや風潮という名の下に。
ノーベル賞受賞、これはその選考委員の価値観による受賞である。 素粒子の種類が6種類以上無ければ現実に起きる現象が説明つかないという説を唱え、やがてそれが立証されたことによる受賞者達。 クラゲの発光の不思議さを単純に追求した受賞者。 たまたま発見した発光性たんぱく質が、後に医学に大きな発展をもたらした。 実際その下村氏は自ら「もらえるとするなら生物か医学だと思っていた。まさか化学賞とは・・・」とおっしゃっている。 本音だろう。
俄かに受賞者の過去売れなかった本が「夢を叶えるゾウ」より人気が上になったとニュースで言っていた。 権威あるノーベル賞をとったのだから、ということがその本が売れる原因になっているだろうと推測するが、購入する人の価値観は他人の価値観を単純に取り入れているだけなのでは?という見方も出来なくは無い。 そうでない方に対しては失礼をお詫びする。
私は天邪鬼なので、世相に迎合するのを好まない。 自分の価値観を大事にしたいと思う。 自分が少数派だろうということも感じているし。
素粒子研究については、「カミオカンデ」でのニュートリノ観測や大型加速器(今回の素粒子理論の立証に大きく寄与したと思われる)の存在を知っていたし、ニュースで言われている通り、ずっと過去の話であった。 最近日本の物を上回る大型加速器がヨーロッパにできたというニュースも記憶に新しい。
私は受賞者をどうのこうの言うつもりは毛頭ないのであって、何かメディアが提供する報道に対し大衆が追従していく姿に、違和感を感じるだけなのだ。 むしろこうした機会に、今のところ陽の目をみていない研究者が多数いることを認識すべきで、その成果がノーベル賞をとれるかどうかはある意味その人の運なのだと思う。
私としては受賞者の栄誉に対し素直にそれを讃え、その方たちのノウハウや背景の秘密をいくらかでも盗むことができればそれが自分の価値に繋がると思うだけである。
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