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小説「ヒーズールの夜明け」に登場する村・・・ そのむらおさの独り言?!
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 裁判員制度下の裁判は続いている。 私が疑問を投げかけたテーマは、どうやら検討にも値しないようだ。

 単純に6人を選ぶ際に、20~39歳・40~59歳・60歳以上など3世代に分類し男女に分けた上でくじさえすれば、性別間・世代間の感覚の相違による偏重を抑えられると言うのに・・・。

 今日のニュースで更に驚かされることがあった。 裁判員初の質問についてだった。
 被害者の息子に対し、被害者(母親)の人柄に関した供述調書と法定での同じ質問に対する回答の差異を訊ねた質問である。 殺人を犯した被告の動機に関わる重要な質問だったのに、ニュースでは市民感覚の質問だと良い評価を与えた。

 ん?、他人を殺傷した場合の動悸は今まで重要視されなかった? 驚くべきことだった。

 知人で憎悪が発生しうる殺傷行為と無差別殺人のような行為を、その動機面において量刑検討の際軽んじられていたと言うのか。

 どうも殺人における死刑云々は、何人の被害者があったかという被害の重さのみが重要視されていたということだったのだろう。 まさに呆れるばかりである。

 このこと一つとっても、この制度を始めた価値は高いだろう。 そもそも反対派に問いたいが、自分の愛する身内を殺されたりした場合、今までのような判例がどうのこうのという被害者感情を無視した判決を有り難く受け入れるか?

 被害者感情は、身内は良い人で、加害者は憎い人。 しかし、怒りっぽく喧嘩っ早いと証言した母親像を、裁判ではひっくり返し、しかも覚えていないという被害者の息子。 恐らくは検察側の入れ知恵なのだろう。
 私はニュースでしかこの事件を知らないが、怨恨の絡むこの手の事件には被害者に全くの落ち度が無い場合は少ないかに思う。 

 被害者=全て善人ではないことを、大抵の人は知っているくせに、こういう結果になるとつまりはそうなっていく。 世の中には殺されても仕方ないと思われてもしょうがない人がたくさんいることを、どうして覆い隠してしまうのだろう。 
 念のため付け加えるが、私は今回の事件での被害者が殺されてもしょうがなかった人と思ってるということではなく、そういうこともあるというだけである。
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