小説「ヒーズールの夜明け」に登場する村・・・ そのむらおさの独り言?!
わが国の小中学校において、理科嫌いの生徒が増えているという。 国際的に比較してもその度合いが大きいようだ。 どうしてなのだろう。
そのことについて調べたりしたことはないが、教える側に一つの問題があるような気がする。 小中学校の先生という職業は、教育学部を経て就くことができるものであるから、大学受験を通過しなければならない。 その段階で理数系を軽んじる傾向があるのではなかろうか。 現に先生側に理科嫌いがあるという報道も見たような気がする。
それ以外に、学校教育において知識の詰め込みが多く、考える力を育てるゆとりが失われている可能性もあるかもしれない。 また日常で答えが安易に与えられることも、考える力を鍛える機会を奪っていそうだ。
いずれ理数系に弱い子供が増えるということは、国の工業科学技術方面の人材不足を生んでしまう。 国力に繋がる問題だ。
これを防ぐためには、理数系の勉強して工業分野に進んだ人達から、理数系の教師を迎え入れることが必要ではないだろうか。
理数系はそうでなくとも、人生問題の解決にも大いに役立つとわしは思う。 自分で考えなくてもすぐに答えが得られる社会が、稀に答えを得にくい応用問題に対し思考破綻や思考回避をする子供達を作り出しているのかもしれない。
そのことについて調べたりしたことはないが、教える側に一つの問題があるような気がする。 小中学校の先生という職業は、教育学部を経て就くことができるものであるから、大学受験を通過しなければならない。 その段階で理数系を軽んじる傾向があるのではなかろうか。 現に先生側に理科嫌いがあるという報道も見たような気がする。
それ以外に、学校教育において知識の詰め込みが多く、考える力を育てるゆとりが失われている可能性もあるかもしれない。 また日常で答えが安易に与えられることも、考える力を鍛える機会を奪っていそうだ。
いずれ理数系に弱い子供が増えるということは、国の工業科学技術方面の人材不足を生んでしまう。 国力に繋がる問題だ。
これを防ぐためには、理数系の勉強して工業分野に進んだ人達から、理数系の教師を迎え入れることが必要ではないだろうか。
理数系はそうでなくとも、人生問題の解決にも大いに役立つとわしは思う。 自分で考えなくてもすぐに答えが得られる社会が、稀に答えを得にくい応用問題に対し思考破綻や思考回避をする子供達を作り出しているのかもしれない。
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わしの正(生)業は外勤が主である。 そして場所が固定的でないので、あちこちでいろんな人や出来事に出会う。 今日の仕事で会話した人とその回数は、日頃の平均を大きく上回った。 保育所に出かけたからなのである。
「おじさん、何してるのぉ~?」主な問いかけはこの台詞で、ん~どうだろう、30人以上に声を掛けられた。 あちこちの保育所に何度も足を運んでるうち、わしの回答も徐々にそっけないものに変わっていくような気がする。 本当に素直な興味をぶつけてくる子供らに、じっくり答えている暇が無い場合、そんな風になっていくのだ。 少し反省。
子供らに囲まれていない時も、保育所の活動は否応無く目に入る。 その度、保育士さんたちはすごいと思う。 ヒトのケアをする仕事は男女雇用均等法ができたからといって、圧倒的に女性が多いのではなかろうか。
わしの妻は介護関係の現場で仕事をしてるが、元々は幼稚園教諭でもあった。 社会福祉主事という資格があるので、現在はお年寄りのケアをしている。 時折、認知症の利用者の話を聞かされるのだが、よく我慢をしてるものだ。 この種の業界の方たちも女性が多いだろう。
元々わしは、女性の持つ力をすごいものだと思っていて、逆にこの時代特に男性の本来の力を発揮する職場が奪われているように思う。 男性の力を発揮しやすい場所は、機械が奪っていったのではなかろうか。
筋力絡みの仕事が男性の主に活躍しやすい場所だとするなら(あくまで比率として)、現在の機械化が進んだ社会は多くの男性を卑屈にしていく社会なのかもしれない。 過激な犯罪の背景に、追い詰められた男性の姿が投影されてるとしたら・・・。 空論か。
それに対し精神的強さを持った女性は、現在やこれからの社会でよりその地位を高めていくだろう。 女性って本当に凄いと思う。
「おじさん、何してるのぉ~?」主な問いかけはこの台詞で、ん~どうだろう、30人以上に声を掛けられた。 あちこちの保育所に何度も足を運んでるうち、わしの回答も徐々にそっけないものに変わっていくような気がする。 本当に素直な興味をぶつけてくる子供らに、じっくり答えている暇が無い場合、そんな風になっていくのだ。 少し反省。
子供らに囲まれていない時も、保育所の活動は否応無く目に入る。 その度、保育士さんたちはすごいと思う。 ヒトのケアをする仕事は男女雇用均等法ができたからといって、圧倒的に女性が多いのではなかろうか。
わしの妻は介護関係の現場で仕事をしてるが、元々は幼稚園教諭でもあった。 社会福祉主事という資格があるので、現在はお年寄りのケアをしている。 時折、認知症の利用者の話を聞かされるのだが、よく我慢をしてるものだ。 この種の業界の方たちも女性が多いだろう。
元々わしは、女性の持つ力をすごいものだと思っていて、逆にこの時代特に男性の本来の力を発揮する職場が奪われているように思う。 男性の力を発揮しやすい場所は、機械が奪っていったのではなかろうか。
筋力絡みの仕事が男性の主に活躍しやすい場所だとするなら(あくまで比率として)、現在の機械化が進んだ社会は多くの男性を卑屈にしていく社会なのかもしれない。 過激な犯罪の背景に、追い詰められた男性の姿が投影されてるとしたら・・・。 空論か。
それに対し精神的強さを持った女性は、現在やこれからの社会でよりその地位を高めていくだろう。 女性って本当に凄いと思う。
TVが普及していった時代、「一億総白雉化」という言葉が早々に生まれた。 どういう意味で用いたのか正確には知らないが、つまらない番組が増え国民を白雉にするという解釈より、ラジオ時代は音声のみで姿を想像する機会があったのに、それさえ奪われたことを揶揄した表現でなかったかと理解している。 映像が加わり、与えられた情報を鵜呑みにすることへの危機感だ。
それでもまだTVは1方向の情報ツールだったのだが、インターネットは双方向で形態自由無限のツールになり、マスメディアとの相互発展?を続けている。
そもそも事件などにこれほどの詳細な報道が必要だろうか。 自分の住まいする附近の事件でもないものを、これほど報道されて何の意味があるのだろう。 事件の再発防止?、模倣犯罪の助長の方が勝ると思う。
一方、インターネットの有害情報は防げないのだろうか。 硫化水素自殺なんて、ネットやニュースで知りさえしなければこれほど蔓延すまいに。 メディアの報道の中に、自らの責任を振り返るものがないのにも呆れ返るばかりだ。
子供に携帯電話を持たせることの是非の議論、これも白熱してるようだが、答えは一つ。 道具が悪いのではなく使い方が悪いのだ。 匿名での中傷を防ぐ方法は、匿名の排除しかない。 できるかどうかは不明だが、ID登録時の厳格性を求めたい。 仮名は良いが、発信者の特定が困難な匿名が氾濫するネット社会は、「逆ネームロンダリング」とでも表現すべき状態である。 資金洗浄(汚れた金をまともな金に替える作業)をマネーロンダリングと言うので、実名を分からなくするためにフリーアドレス取得を繰り返す作業という意味で名づけてみた。 おおよそ匿名になると、いきなり心の悪魔を開放するような卑劣な輩の増殖にはそろそろ辟易してきた。
再度確認の為に繰り返すが、仮名(ニックネーム)などは問題ない。 いざ人物を特定する場合、それが困難になる状態を否定しているだけである。
話を元に戻すが、いくら事実を伝えるからといって、現在の事件報道は有害情報の垂れ流しと言っても過言でない。 情報をきちんと正しい方向に理解できるまともな人間だけが、それを観てるわけではないからだ。 戦後無秩序に流入した民主主義の「自由」が、大きな「義務」をないがしろにしてきた。 「報道の自由」がそれによる「社会の混乱を防ぐ義務」を忘れた時、犯罪の助長という結果をもたらす。
思えば今回の加害者は、今年の土浦での事件を明確に意識していたし、かの「酒鬼薔薇」と同年代であることを憂慮しなければいけないと考える。 現代の親達は、我が子がこういった情報に汚染されていることを、防ぎきれないでいるのではないだろうか。 だからと言って親の責任を回避する理由には絶対にならない。 子育てには、社会に対する責任も同時につきまとうのだ。
それでもまだTVは1方向の情報ツールだったのだが、インターネットは双方向で形態自由無限のツールになり、マスメディアとの相互発展?を続けている。
そもそも事件などにこれほどの詳細な報道が必要だろうか。 自分の住まいする附近の事件でもないものを、これほど報道されて何の意味があるのだろう。 事件の再発防止?、模倣犯罪の助長の方が勝ると思う。
一方、インターネットの有害情報は防げないのだろうか。 硫化水素自殺なんて、ネットやニュースで知りさえしなければこれほど蔓延すまいに。 メディアの報道の中に、自らの責任を振り返るものがないのにも呆れ返るばかりだ。
子供に携帯電話を持たせることの是非の議論、これも白熱してるようだが、答えは一つ。 道具が悪いのではなく使い方が悪いのだ。 匿名での中傷を防ぐ方法は、匿名の排除しかない。 できるかどうかは不明だが、ID登録時の厳格性を求めたい。 仮名は良いが、発信者の特定が困難な匿名が氾濫するネット社会は、「逆ネームロンダリング」とでも表現すべき状態である。 資金洗浄(汚れた金をまともな金に替える作業)をマネーロンダリングと言うので、実名を分からなくするためにフリーアドレス取得を繰り返す作業という意味で名づけてみた。 おおよそ匿名になると、いきなり心の悪魔を開放するような卑劣な輩の増殖にはそろそろ辟易してきた。
再度確認の為に繰り返すが、仮名(ニックネーム)などは問題ない。 いざ人物を特定する場合、それが困難になる状態を否定しているだけである。
話を元に戻すが、いくら事実を伝えるからといって、現在の事件報道は有害情報の垂れ流しと言っても過言でない。 情報をきちんと正しい方向に理解できるまともな人間だけが、それを観てるわけではないからだ。 戦後無秩序に流入した民主主義の「自由」が、大きな「義務」をないがしろにしてきた。 「報道の自由」がそれによる「社会の混乱を防ぐ義務」を忘れた時、犯罪の助長という結果をもたらす。
思えば今回の加害者は、今年の土浦での事件を明確に意識していたし、かの「酒鬼薔薇」と同年代であることを憂慮しなければいけないと考える。 現代の親達は、我が子がこういった情報に汚染されていることを、防ぎきれないでいるのではないだろうか。 だからと言って親の責任を回避する理由には絶対にならない。 子育てには、社会に対する責任も同時につきまとうのだ。
1990年、今は亡き名優が発した台詞「パンツは、はかないことにする」、18年前であるから、ご記憶のある方は30歳以上だろう。 この台詞の背景は、その名優がパンツの中に覚せい剤を隠し持って海外から再入国しようとした時、逮捕された後のコメントだった。
誰がどう考えても、覚せい剤を持ち込もうとした考えが悪いに決まってるのだが、その名優は「パンツがあったから隠そうと思ってしまった」とでも言いたかったのだろうか。 あまりに見苦しいその言い訳も、名優であるから世間で笑い飛ばされたのかもしれない。 わしはそんな報道の真相には興味がなかったので、詳しいことなど知らないし知りたくも無い。
一昨日の事件で、「銃刀法の規制が緩いのが問題だ」と、この国のお偉い方が早速にコメントした。 確かに規制は緩い。 偶然、わしは先週「銃」に関してではあったが、殺傷目的の武器の所持は厳罰に処すべきという私見を述べている。 お偉い方もその路線で話したかもしれないが、それはあくまで「パンツ」を悪者にした名優と同じ所見であって、国のお偉いさんが真っ先に言う話ではない。
わしの先週のブログは、「罪と罰と熱力学第1法則」だった。 今回の事件も、結果と原因の等式が絶対必要である。 わしの仮想式を掲げてみよう。
事件=家庭教育の不備+若者にとって様々なつらい環境+若者に多い現状及び将来に対する不安+犯罪の過剰報道+周囲の無関心+その他
いろいろあろうからそこは「その他」で括ったが、これらの割合はどうだろう。 加害者の親の謝罪が報道された。 どういった方なのか知らないが、顔から下を映した衣装は、とても好感が持てるものではなかった。 この親も被害者?・・・。
わしも責任を感じる。 式の項目にあった「周囲の無関心」。 これは奥が深い。 加害者を知る周囲の者だけの問題ではない。 こういった事件が起こる背景を知っていて、これからも続発するだろう可能性も知っていて、尚且つ何もしないしできないでいる自分。 割合はどうであれ、間違いなくこの事件の責任の一部はわしにもある。 だからと言って何ができるのだろう。 こうしてブログに書き込むことぐらいだ。 明日にも別の類似する事件で愛する人を失うかもしれない。 考え過ぎだとおっしゃる方には、「考え過ぎだと良いですね」と返すしかできないのである。
わしには、今回の加害者に近い年齢の息子がいる。 派遣社員で一人暮らしだ。 今夜久々に来て夕食を共にし会話したが、近いうちに二人きりでじっくり話をしなければと、心の中で思っていた。
誰がどう考えても、覚せい剤を持ち込もうとした考えが悪いに決まってるのだが、その名優は「パンツがあったから隠そうと思ってしまった」とでも言いたかったのだろうか。 あまりに見苦しいその言い訳も、名優であるから世間で笑い飛ばされたのかもしれない。 わしはそんな報道の真相には興味がなかったので、詳しいことなど知らないし知りたくも無い。
一昨日の事件で、「銃刀法の規制が緩いのが問題だ」と、この国のお偉い方が早速にコメントした。 確かに規制は緩い。 偶然、わしは先週「銃」に関してではあったが、殺傷目的の武器の所持は厳罰に処すべきという私見を述べている。 お偉い方もその路線で話したかもしれないが、それはあくまで「パンツ」を悪者にした名優と同じ所見であって、国のお偉いさんが真っ先に言う話ではない。
わしの先週のブログは、「罪と罰と熱力学第1法則」だった。 今回の事件も、結果と原因の等式が絶対必要である。 わしの仮想式を掲げてみよう。
事件=家庭教育の不備+若者にとって様々なつらい環境+若者に多い現状及び将来に対する不安+犯罪の過剰報道+周囲の無関心+その他
いろいろあろうからそこは「その他」で括ったが、これらの割合はどうだろう。 加害者の親の謝罪が報道された。 どういった方なのか知らないが、顔から下を映した衣装は、とても好感が持てるものではなかった。 この親も被害者?・・・。
わしも責任を感じる。 式の項目にあった「周囲の無関心」。 これは奥が深い。 加害者を知る周囲の者だけの問題ではない。 こういった事件が起こる背景を知っていて、これからも続発するだろう可能性も知っていて、尚且つ何もしないしできないでいる自分。 割合はどうであれ、間違いなくこの事件の責任の一部はわしにもある。 だからと言って何ができるのだろう。 こうしてブログに書き込むことぐらいだ。 明日にも別の類似する事件で愛する人を失うかもしれない。 考え過ぎだとおっしゃる方には、「考え過ぎだと良いですね」と返すしかできないのである。
わしには、今回の加害者に近い年齢の息子がいる。 派遣社員で一人暮らしだ。 今夜久々に来て夕食を共にし会話したが、近いうちに二人きりでじっくり話をしなければと、心の中で思っていた。
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タイトルは1971年に制作された映画の題名である。 公開当時わしは劇場でこれを観て、一生忘れられない映画の一つになった。 それを久しぶりに昨日観ることができた。
この映画はマカロニウエスタン(イタリア制作の西部劇)で、当時ジュリアーノ・ジェンマやクリント・イーストウッド主演作品がかなり記憶に残っている。 本作品はその中で異色の存在だったような気がする。 「夕陽のガンマン」などが有名だったので流れ的にこのような題名になったと思うが、原題は「Duck You Sucker」(伏せろ!バカ)である。 主演はジェームス・コバーンとロッド・スタイガーだった。
作品について多くを説明しないが、冒頭に毛沢東の「革命とは・・」という語録が出てくるメキシコ革命に関わる内容だ。 主人公達の人間性が良く演じられていて、象徴的な二つのメロディ・叙事詩的に挟まれる過去の記憶、最後は目頭が熱くなった。 男性には絶対お奨めの逸品の映画である。(女性でも悪くはないと思うが・・・)
わしは少年の頃から洋画を多く観ていて、「スクリーン」「ロードショー」なんて洋画紹介の月刊誌を購入していたし、映画館にもよく足を運んだ。 お気に入りのジャンルは、戦争物や勧善懲悪的なもの、さすがに男の子だった。
そういった映画を観ることで「男とは、かくあるべき」のようなわしの個性の下地を築きあげたような気がする。 だから今でも卑怯なことや狡猾なこと、自己中心的な考えはしようとしてもできない。 時に自己犠牲もわしには美学だ。 命の大切さを学ぶと同時に、死ぬことの潔さや必然性への理解も身に着けたつもりである。
他人の痛みをわがことのように感じ、自分がされて嫌なことを他人にしない。 そういう自分に誇りを持つ。 そういう人としての生きかたのベースは、今の教育(家庭・学校・社会)で充分行われているのだろうか。 首相や官房長官が、昨日の事件についてコメントしているが、こういった傾向は今に始まったことではなかろうに。
この映画はマカロニウエスタン(イタリア制作の西部劇)で、当時ジュリアーノ・ジェンマやクリント・イーストウッド主演作品がかなり記憶に残っている。 本作品はその中で異色の存在だったような気がする。 「夕陽のガンマン」などが有名だったので流れ的にこのような題名になったと思うが、原題は「Duck You Sucker」(伏せろ!バカ)である。 主演はジェームス・コバーンとロッド・スタイガーだった。
作品について多くを説明しないが、冒頭に毛沢東の「革命とは・・」という語録が出てくるメキシコ革命に関わる内容だ。 主人公達の人間性が良く演じられていて、象徴的な二つのメロディ・叙事詩的に挟まれる過去の記憶、最後は目頭が熱くなった。 男性には絶対お奨めの逸品の映画である。(女性でも悪くはないと思うが・・・)
わしは少年の頃から洋画を多く観ていて、「スクリーン」「ロードショー」なんて洋画紹介の月刊誌を購入していたし、映画館にもよく足を運んだ。 お気に入りのジャンルは、戦争物や勧善懲悪的なもの、さすがに男の子だった。
そういった映画を観ることで「男とは、かくあるべき」のようなわしの個性の下地を築きあげたような気がする。 だから今でも卑怯なことや狡猾なこと、自己中心的な考えはしようとしてもできない。 時に自己犠牲もわしには美学だ。 命の大切さを学ぶと同時に、死ぬことの潔さや必然性への理解も身に着けたつもりである。
他人の痛みをわがことのように感じ、自分がされて嫌なことを他人にしない。 そういう自分に誇りを持つ。 そういう人としての生きかたのベースは、今の教育(家庭・学校・社会)で充分行われているのだろうか。 首相や官房長官が、昨日の事件についてコメントしているが、こういった傾向は今に始まったことではなかろうに。
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