小説「ヒーズールの夜明け」に登場する村・・・ そのむらおさの独り言?!
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・。 盛者必衰、おごれるものは久しからず、たけき者も遂には滅びぬ・・・。 平家物語の冒頭の8行は、頭にこびりついている。 授業で暗記させられたものだったろうか。
私の人生でも多くの栄枯盛衰を見てきた。 特に自殺率全国一の県にあっては、身の周りに一人や二人など可愛い数字でない知人が他界して行った。 命を永らえながらも自己破産する人達も見てきた。
そういった彼らを思い起こす時、この平家物語や「アリとキリギリス」の童話が付きまとっていた。
時代の寵児と呼ばれた男が詐欺で逮捕された。 おおむね容疑を認めているという。 小人の私には考えもつかない行為だ。 だが関わった金額こそ違えど、私の周辺の凋落した人達とさほど中身は違わないのだろう。
ほぼ同時に自動車教習所が破産したというニュースも入ってきた。 留学アシスト会社・ゲートウェイの破産と同じ側面を持った倒産だ。 ある目的にお金を支払った人々が、その代償を得ることなく一方的に夢が雲散霧消してしまった点でである。
一般国民の税制も、より良い社会を生み出すという目的で徴収されているに関わらず、その約束が履行されているとは思えない。 広く浅く弱者に重い詐欺が横行してると言っても過言で無いように思う。
「盛者必衰、おごれる者は久しからず・・・」は、側近のニュースで破綻した者達だけのことではなく、日本という国、資本主義経済そして人類全体に対する教えのような気がしてならない。
私の人生でも多くの栄枯盛衰を見てきた。 特に自殺率全国一の県にあっては、身の周りに一人や二人など可愛い数字でない知人が他界して行った。 命を永らえながらも自己破産する人達も見てきた。
そういった彼らを思い起こす時、この平家物語や「アリとキリギリス」の童話が付きまとっていた。
時代の寵児と呼ばれた男が詐欺で逮捕された。 おおむね容疑を認めているという。 小人の私には考えもつかない行為だ。 だが関わった金額こそ違えど、私の周辺の凋落した人達とさほど中身は違わないのだろう。
ほぼ同時に自動車教習所が破産したというニュースも入ってきた。 留学アシスト会社・ゲートウェイの破産と同じ側面を持った倒産だ。 ある目的にお金を支払った人々が、その代償を得ることなく一方的に夢が雲散霧消してしまった点でである。
一般国民の税制も、より良い社会を生み出すという目的で徴収されているに関わらず、その約束が履行されているとは思えない。 広く浅く弱者に重い詐欺が横行してると言っても過言で無いように思う。
「盛者必衰、おごれる者は久しからず・・・」は、側近のニュースで破綻した者達だけのことではなく、日本という国、資本主義経済そして人類全体に対する教えのような気がしてならない。
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そこに足を踏み入れたのは40年以上前のことだったと思う。 現在,秋田大学工学資源学部付属鉱業博物館である。 パンフレットによると昭和36年10月に当時鉱山学部創立50周年記念会の事業として建設されたのだそうだ。 私はそこに亡き父に連れられ訪れたのだった。
秋田は「八橋(やばせ)油田」や多くの鉱山を有していたので、全国でもあまり例のない鉱山学部やこの鉱業博物館が建設されたものと思う。 亡き父も石油採掘関連会社に勤めていたこともあって、幼い私を連れて行ったのだろう。 残念ながら共に訪れた記憶は、確かに行ったということを除いて詳細なものがない。
今回訪れたのは言わば単なる気まぐれだった。 イベントがあってたまたま無料だったのと、市民向け講演会なるものがあったので、秋田の元気に繋がる話でもあればと思ったのである。
講演の演題は「地圏環境インフォマティクス -私たちの住んでいる大地と河川の重金属環境-」なるもので、鉱山から流れ出る重金属の河川への影響が主なテーマだった。 その中で出てきた話題が、タイトルの土壌汚染対策法であった。 平たい話が産廃などで人為的に汚染された土壌に関わる法律で、5年ほど前に施行されたのだそうだ。
講師の東北大学教授・土屋氏によれば、この法律はひじょうに不備なものであるとのこと。 そもそも人為的な汚染と元来の自然による汚染の線引きが明確でなく、その判断も地方自治体に任されていると言う。 先生が環境省に言っても、どうにも解決の糸口にならないらしい。
仙台からお出でになった土屋教授いわく、仙台で進んでいる地下鉄の残土も天然の汚染物質があると言うことで、その処理に対する見解が難しいのだそうだ。 教授なりの見解はお伺いしたけれど、どんなものか。
いかなる法律もその策定に当たり、どういう方々が関わるのだろう? 専門家が首を傾げるような法律が、霞ヶ関から発信されている。 セレブな政治家達の思いつきで作られる政策も山ほどあるだろう。
学術的講演に出かけていって、思わずこの国の政治の妙さ具合をあらためて痛感させられるひとときだった。
秋田は「八橋(やばせ)油田」や多くの鉱山を有していたので、全国でもあまり例のない鉱山学部やこの鉱業博物館が建設されたものと思う。 亡き父も石油採掘関連会社に勤めていたこともあって、幼い私を連れて行ったのだろう。 残念ながら共に訪れた記憶は、確かに行ったということを除いて詳細なものがない。
今回訪れたのは言わば単なる気まぐれだった。 イベントがあってたまたま無料だったのと、市民向け講演会なるものがあったので、秋田の元気に繋がる話でもあればと思ったのである。
講演の演題は「地圏環境インフォマティクス -私たちの住んでいる大地と河川の重金属環境-」なるもので、鉱山から流れ出る重金属の河川への影響が主なテーマだった。 その中で出てきた話題が、タイトルの土壌汚染対策法であった。 平たい話が産廃などで人為的に汚染された土壌に関わる法律で、5年ほど前に施行されたのだそうだ。
講師の東北大学教授・土屋氏によれば、この法律はひじょうに不備なものであるとのこと。 そもそも人為的な汚染と元来の自然による汚染の線引きが明確でなく、その判断も地方自治体に任されていると言う。 先生が環境省に言っても、どうにも解決の糸口にならないらしい。
仙台からお出でになった土屋教授いわく、仙台で進んでいる地下鉄の残土も天然の汚染物質があると言うことで、その処理に対する見解が難しいのだそうだ。 教授なりの見解はお伺いしたけれど、どんなものか。
いかなる法律もその策定に当たり、どういう方々が関わるのだろう? 専門家が首を傾げるような法律が、霞ヶ関から発信されている。 セレブな政治家達の思いつきで作られる政策も山ほどあるだろう。
学術的講演に出かけていって、思わずこの国の政治の妙さ具合をあらためて痛感させられるひとときだった。
明日の日曜と明後日の文化の日、場合によっては今日の土曜を含めて3連休の方もたくさんおられるだろう。 私は今日仕事だったのだが、明日明後日が雨との予報だったので、仕事を半日で止めにして山に行くことにした。 し残した仕事は、連休中にすれば良い・・・。
山に行く理由はキノコ採りであった。 昼食時、行く山の場所を報告すると、妻や母が「いつも行き場所を言わないのに何故今日は?」と訊いてきた。 「一人で行くのだから、何かあったら困るだろ?」と言うと、「いつも言わないで行くのに今日に限って変だ」と言う。
キノコ採りも舞茸やサワボダシのシーズンは相当の人数が入るのだが、この時期になるとマニアックな人しか入らなくなるので、遭難のリスクが高まるのである。 それでそう説明したのだが、「やめるか、誰かと一緒に行ったら?」と軽く言われた。
山での狙い目はムキダケである。 運がよければナメコやらに会えるかもしれない。
基本的に山に入る場合、ある程度過去の実績のある箇所を目指す。 目指した場所で予定の収穫ができなかったり時間に余裕があれば新規開拓することになる。
今回は目指した場所で期待する収量が得られそうだった。
問題があった場所はかなりの急斜面で、収穫には時期的にも丁度良かったのだが誤算があった。 倒木は毎年腐っていくわけで、そのことに対し油断があった。 結果、20m程滑落することになってしまった。
ダメージは左足の甲に腫れと痛みが残る程度だったが、落ちる時に昼食時の会話を思い出していた。 虫の知らせだったのだろうか。 明日起きたらどうなっているのだろう、ほんの少しだけ心配である。
早々に山を降りたが、レジ袋半分ほどのムキダケは充分に満足できる量で、夕食の納豆汁の具になった。 ムキダケと納豆は相性がとても良い。 他にも食べ方はたくさんあるだろうが、私にとって一つのおふくろの味とも言えるこの食べ方は格別である。
世間では今日は「寿司の日」だそうだ。 以前は家族で寿司を食べに行くこともそこそこあった(ほとんどが回転寿司だが)が、景気の悪さや家族のスケジュールでその頻度は激減している。 それでも寿司の日を忘れないのは、それと同時に親友の誕生日だからである。 だからと言って若い時と違い、おめでとうコールなぞすることもなく、ただ思い出して心の中で 「おめでとう」を言うだけなのだが・・・。
山に行く理由はキノコ採りであった。 昼食時、行く山の場所を報告すると、妻や母が「いつも行き場所を言わないのに何故今日は?」と訊いてきた。 「一人で行くのだから、何かあったら困るだろ?」と言うと、「いつも言わないで行くのに今日に限って変だ」と言う。
キノコ採りも舞茸やサワボダシのシーズンは相当の人数が入るのだが、この時期になるとマニアックな人しか入らなくなるので、遭難のリスクが高まるのである。 それでそう説明したのだが、「やめるか、誰かと一緒に行ったら?」と軽く言われた。
山での狙い目はムキダケである。 運がよければナメコやらに会えるかもしれない。
基本的に山に入る場合、ある程度過去の実績のある箇所を目指す。 目指した場所で予定の収穫ができなかったり時間に余裕があれば新規開拓することになる。
今回は目指した場所で期待する収量が得られそうだった。
問題があった場所はかなりの急斜面で、収穫には時期的にも丁度良かったのだが誤算があった。 倒木は毎年腐っていくわけで、そのことに対し油断があった。 結果、20m程滑落することになってしまった。
ダメージは左足の甲に腫れと痛みが残る程度だったが、落ちる時に昼食時の会話を思い出していた。 虫の知らせだったのだろうか。 明日起きたらどうなっているのだろう、ほんの少しだけ心配である。
早々に山を降りたが、レジ袋半分ほどのムキダケは充分に満足できる量で、夕食の納豆汁の具になった。 ムキダケと納豆は相性がとても良い。 他にも食べ方はたくさんあるだろうが、私にとって一つのおふくろの味とも言えるこの食べ方は格別である。
世間では今日は「寿司の日」だそうだ。 以前は家族で寿司を食べに行くこともそこそこあった(ほとんどが回転寿司だが)が、景気の悪さや家族のスケジュールでその頻度は激減している。 それでも寿司の日を忘れないのは、それと同時に親友の誕生日だからである。 だからと言って若い時と違い、おめでとうコールなぞすることもなく、ただ思い出して心の中で 「おめでとう」を言うだけなのだが・・・。
未来に起こることがわかったら・・・。 予知能力があったら、転ばぬ先の杖で危険を回避できるし、大いなる利益も得られるだろう。
株の売買も未来予測ができれば、それを利益に変えられる。 昨日今日と株価は上がった。 その前の株価を底と読み、今後は下がることなどあまり無いだろうと言う観測だからなのだろう。
そもそも上がるはずの無い上がり方をしていたので、落ちただけの株価。 落ちるはずの無いレベルまで下がったのだろうか。 株価の適正価格など、為替や需給、いろいろな要素が加わるのだから、なかなか決められないが、ある一定の条件下ならおのずと答えは出てくる。
短期の売買なら、どちらかというと適正価格などどうでも良く、流れを読みさえすれば良いという側面もあるのは現実である。 上がるにせよ下がるにせよ、側近の気配を察知すれば良いのだ。
長期的観測はいろいろ難しい問題があるが、冷静に考えれば答えは出しやすいのかもしれない。 大きな流れを感じれば良いからである。 大きな流れは、奇抜な一時的なものでは決してなく、あるべき方向へ川が低いところを見つけながら流れるように、当たり前のように流れていく。
5年・10年・そのまた先、金融や経済のみならず、国際状況・食物生産状況や流れ、どう読むのが最も未来の実際に近いのか。 今夜、総理が打ち出した経済対策は、その流れに沿ったものだっただろうか。 メディアでいろいろ言われているので、あえて何も言わないが、小手先と称されるその政策はまさに方向違いの愚策と後の時代が評価するだろうことを私なりに予測する。
株の売買も未来予測ができれば、それを利益に変えられる。 昨日今日と株価は上がった。 その前の株価を底と読み、今後は下がることなどあまり無いだろうと言う観測だからなのだろう。
そもそも上がるはずの無い上がり方をしていたので、落ちただけの株価。 落ちるはずの無いレベルまで下がったのだろうか。 株価の適正価格など、為替や需給、いろいろな要素が加わるのだから、なかなか決められないが、ある一定の条件下ならおのずと答えは出てくる。
短期の売買なら、どちらかというと適正価格などどうでも良く、流れを読みさえすれば良いという側面もあるのは現実である。 上がるにせよ下がるにせよ、側近の気配を察知すれば良いのだ。
長期的観測はいろいろ難しい問題があるが、冷静に考えれば答えは出しやすいのかもしれない。 大きな流れを感じれば良いからである。 大きな流れは、奇抜な一時的なものでは決してなく、あるべき方向へ川が低いところを見つけながら流れるように、当たり前のように流れていく。
5年・10年・そのまた先、金融や経済のみならず、国際状況・食物生産状況や流れ、どう読むのが最も未来の実際に近いのか。 今夜、総理が打ち出した経済対策は、その流れに沿ったものだっただろうか。 メディアでいろいろ言われているので、あえて何も言わないが、小手先と称されるその政策はまさに方向違いの愚策と後の時代が評価するだろうことを私なりに予測する。
Qちゃんこと高橋尚子女子マラソン選手が本日引退を表明した。 女子フィギュアスケートの安藤美姫選手が復活の兆しを見せた。 WBC選手権監督に原氏が決まった。 スポーツ界も刻々と変化している。
今年の巨人は最大13ゲーム差をひっくり返しての逆転優勝だった。 阪神などは北京オリンピックに選手を出した後、その勢いを失ったという不幸があったにせよ、実に見事というしかない。
その原監督は、優勝した要因について自身こう語っている。 「崖っぷちまで追い込まれた時に居直った。 過去の実績を持つ選手より、その時勢いのある選手を起用しようと思って実行した」 このことは大きな教訓を今更ながらに与えてくれた。
「成功」とは何であるのか? それは「ing」である。 進行形に使われる動詞の語尾に使われるものだ。 つまり過去の成功は、現在の成功では無い。 過去の成功者は今この時点の成功者とは言えないのである。
電球を発明したワット氏に対し、発明後にある記者がこう尋ねたと言う。 「フィラメント(電球の中で光るコイル状の針金)の材料の数知れぬ実験の失敗に、心が萎えることはありませんでしたか?」
ワット氏は怪訝そうにこう答えたと言う。 「私は失敗したことなどないよ。 数知れぬ実験で不適格な材料を発見し続けたのだ」 彼は日々成功し続けていたのである。
この世に過去の成功を身にまとい、それに胡坐をかいている人間が数多くいる。 そして日進月歩を忘れた時におごりが始まる。
大きな成功は小さな成功の積み重ねの上にあるのだ。 日々の精進にこそ、成功のカギはある。 また「成功」とは、自身の価値観に基づくものだ。 仮に他人の評価が欲しいという価値観であればそれはそれだし、自身なりたい自分になることや、そうあり続けるのも一つの価値観だろう。
原監督の英断は、時に過去の栄光を引きずる者の一時的不調に対する癒しにもなり、控の選手達にも調子がよければ使ってもらえるという励みにもなっただろう。
一方、大きな期待という重圧に時に潰されそうになりながら、復活を遂げようとしている安藤選手は、何かを乗り越えたのだろうか? そして選手生活という一つの終焉を自ら迎えた高橋選手は、新たな目標に対し研鑽し成功者で居続けることができるだろうか?
私も自分の価値観で、ありたい自分へ少しずつでも邁進し、いつかそれなりの「成功」を得たいと思うし、そのためにもその気持ちを失わないようにしたいと思う。
今年の巨人は最大13ゲーム差をひっくり返しての逆転優勝だった。 阪神などは北京オリンピックに選手を出した後、その勢いを失ったという不幸があったにせよ、実に見事というしかない。
その原監督は、優勝した要因について自身こう語っている。 「崖っぷちまで追い込まれた時に居直った。 過去の実績を持つ選手より、その時勢いのある選手を起用しようと思って実行した」 このことは大きな教訓を今更ながらに与えてくれた。
「成功」とは何であるのか? それは「ing」である。 進行形に使われる動詞の語尾に使われるものだ。 つまり過去の成功は、現在の成功では無い。 過去の成功者は今この時点の成功者とは言えないのである。
電球を発明したワット氏に対し、発明後にある記者がこう尋ねたと言う。 「フィラメント(電球の中で光るコイル状の針金)の材料の数知れぬ実験の失敗に、心が萎えることはありませんでしたか?」
ワット氏は怪訝そうにこう答えたと言う。 「私は失敗したことなどないよ。 数知れぬ実験で不適格な材料を発見し続けたのだ」 彼は日々成功し続けていたのである。
この世に過去の成功を身にまとい、それに胡坐をかいている人間が数多くいる。 そして日進月歩を忘れた時におごりが始まる。
大きな成功は小さな成功の積み重ねの上にあるのだ。 日々の精進にこそ、成功のカギはある。 また「成功」とは、自身の価値観に基づくものだ。 仮に他人の評価が欲しいという価値観であればそれはそれだし、自身なりたい自分になることや、そうあり続けるのも一つの価値観だろう。
原監督の英断は、時に過去の栄光を引きずる者の一時的不調に対する癒しにもなり、控の選手達にも調子がよければ使ってもらえるという励みにもなっただろう。
一方、大きな期待という重圧に時に潰されそうになりながら、復活を遂げようとしている安藤選手は、何かを乗り越えたのだろうか? そして選手生活という一つの終焉を自ら迎えた高橋選手は、新たな目標に対し研鑽し成功者で居続けることができるだろうか?
私も自分の価値観で、ありたい自分へ少しずつでも邁進し、いつかそれなりの「成功」を得たいと思うし、そのためにもその気持ちを失わないようにしたいと思う。